見て!聞いて!が止まらない
おはようございます。公認心理師・ビリーフチェンジ心理セラピストの宮﨑くみこです。
先日ご質問を頂きました。
職場で、仕事の時はとても良い人なんだけど、雑談を皆でしていると、いつも人が話していた話題を持っていき、1人で喋り続けている人がいて、皆少しうんざりしています。

大人なのにまるで、子どもみたいね。と、話していましたが、一体何が起きてるんでしょうか?
ということでした。今日は【見て!聞いて!が止まらない方について】少し掘り下げて考えてみたいと思います。
1-1|見て!聞いて!が止まらない人達
子どものころ、誰もが一度は【ねぇねぇ見て!見て!・聞いて!聞いて!】と、大人に話しかけた経験があると思います。

子どもが【自分の存在を確かめるため】に【見て欲しい】【聞いて欲しい】と訴えるのは、ごく自然な発達の一部です。
だけど、大人になってもなお、その欲求が強く表に出る場合があります。
| ・誰かが話している最中に、自分の話題に持っていってしまう。
・会話の中心に自分がいないと落ち着かない。 ・SNSで頻繁に投稿し、反応がないと不安になる。 等など… ※全てが当てはまる訳ではありません |
一見すると「社交的」「話題が多い人」のように見えますが、次第に周囲が疲れて距離を置かれてしまうこともあります。

このような方の内側では、どんな心理的なプロセスが起きているのでしょうか?
1-2|心理的背景
人は生まれながらにして【誰かに見守られたい】【理解されたい】という基本的欲求を持っています。
この欲求が満たされることで【自己肯定感の土台】が育ち【自分は大丈夫】【見てくれる人がいる】という安心感が形成されます。
だけど、幼少期にその基盤が十分に得られなかった場合、心の中に【見てもらえない怖さ】が残りやすくなるんですね。

これは愛着理論で言うところの【不安型愛着】の特徴です。
不安型愛着の方は【他者とのつながり】を強く求めますが、同時に【拒絶されるかもしれない】という怖さを抱えています。
そのために、相手の反応に過敏に反応し【常に注目を確かめよう】とする行動、つまり【見て!聞いて!】が生まれやすくなるんです。
だけど、この時本人は【相手の話を奪おう】と意図しているわけではありません。
むしろ、無意識のうちに【自分がここに居る】ことや【自分の存在価値】を確認するために、会話の中で自分を中心にしてしまうんです。
要は、その方はその方なりに、懸命にその瞬間を生きていらっしゃるんですね。

1-3|存在の不安
又、こうした行動の根底には【ビリーフ(思い込み・信念)】が関わっている場合もあります。
例えば
| ・私は注目されないと価値が無い
・放っておかれることは「嫌われていること」 ・私が話していないと誰も関心を持ってくれない |
これらは、幼少期に親や周囲との関係の中で学習された独自の【世界の見え方】で【思い込みのサングラス】をかけた状態です。

| ・親が忙して話を聞いてくれなかった
・自分以外の兄弟姉妹ばかりが褒められ見てもらえなかった ・「自分のことは自分でしなさい」と早く自立を求められた |
このような体験が重なると【自分は後回しにされる存在】【見てもらうには頑張らなくてはならない】という【無意識のルール】ができてしまいます。
その結果、大人になっても【誰かの注目がないと自分には価値がない・存在してはいけない】のような、漠然とした不安を無意識に抱え、
誰かと話していると、相手の話しを興味深く聴くことよりも、その話題について自分が知っていること、自分の話をしたくてうずうずし、隙あらば話そう!としてしまいます。
そしてそんな様子は、実は周りの人には丸見えで、相手は「いつも人の話を真剣に聞こうとはしてくれない人」「話題を持っていくし、自分の話ししかしない人」ということになるんですね。

この【自己価値・存在の不安】が、会話を独占したり、SNSで反応を求め続けたり、他者の話題に割り込む。といった行動を生み出します。
つまり【注目を集めること】そのものが、本人にとって大切な【安心を得る手段】になっているのです。
1-4|恐れと孤独
【見て!聞いて!】という行動の奥には、単なる【承認欲求】を超えた【もっと深い感情が潜んでいます】
それは【無視されること】への恐れ、そして【孤独】に対する痛みかもしれません。

人は太古の昔から、仲間・集団を形成することで、生き抜いてきました。そんな社会的な存在であり【他者とのつながり】によって安心安全を感じてきました。
なので【誰も自分を見てくれない】と感じることは、心理的には【存在の否定】に近い痛みを伴います。
その痛みを避けようとして、人は時に【過剰に注目を求めてしまう】んです。そうして自分の心を守っているんです。

だけど皮肉なことに、この【見て欲しい】という行動が強すぎると、相手が圧倒され不快を感じて、結果的に距離を置かれることも。
そうして【やっぱり誰も分かってくれない】【まだまだ努力がたりない?】と、ビリーフ(思い込み・価値観・信念)が強化されていき、人間関係の悪循環が生まれていきます。
1-5|その他から見て
【発達心理学】では、親(または養育者)が子どもの感情に【共感的に応答する経験】が自己肯定感の発達に欠かせないとされています。
この【共感的応答】が不足していた場合、自己感覚が不安定になり、常に【外の反応】で自己確認しようとする。と考えられます。

そして、交流分析では、人は無意識に【構ってもらう為の心理ゲーム】を展開する。と考えられています。
【見て!聞いて!】という行動も、実は【自分の存在を確認するためのやり取り(心理ゲーム)】になっていることがあります。
これは【I’m Not OK, You’re OK】という心の立ち位置から生じるパターンです。
更に、他者から承認を得たときに、神経科学的にはドーパミンが分泌されて【快感】として脳に刻まれます。
この報酬系が強く刺激されると、自分が会話の中心に居て、注目されること自体が【癖】のようになり、その行動をしたくてうずうずし、
交感神経になり少し興奮気味に話し、周りが見えなくなってしまうような、依存的な行動として強化されていきます。

現代社会では、SNS文化によって承認を数値化する環境(「いいね」や「フォロワー数」)が整っています。
この構造が、元々【見てもらいたい】欲求を更に刺激し、強化してしまう面もあるのかもしれませんね。
1-6|安心の居場所
【見て欲しい】【聞いて欲しい】という欲求自体は人としてとても自然で健全なものです。それを恥じたり否定する必要はありません。
大切なのは【なぜ?私はそんなに見てもらいたいのか?】に、静かに気づくことです。
その背景には、幼い頃の【見て、聞いてもらえなかった】【悲しみや怖さ、又は怒り】眠っているのかもしれません。

この痛みに優しく光を当て、癒していく過程で、外の反応に頼らずとも【自分はここに居ていい】と感じられるようになります。それは【安心の再体験】。
セラピーやカウンセリング、そして私が毎月開催している心理学の勉強会等のように、信頼できる人や環境の中で、安心して対話を重ねることで、
【昔の自分がどんな思いを抱えていたのか?】を見つめ直すと、本当の意味で【他者と穏やかに関わる自分】を取り戻すことができます。

そして実は、私自身もそういう部分を持っていました。だからこそ、様々な事を学び知識も沢山得ようとしていたのも事実です。
だけど、カウンセリング、ビリーフチェンジのセッションを受け続け、その感覚が今は随分と変化しました。
無意識ながら【前提】が、見てもらうため、認めてもらうため、自己価値を感じたいためにしていた学びやSNS発信が、今は自分の知的好奇心の為、仕事のためになり、
【している事は一見同じ】だけど、私の中の【前提】は全く違うので、過剰になることなく、無理なく、楽しんで、できるようになりました😊

ワーゲンのツーリングも楽しい♪
1-7|見て、聞いてもらえなかった自分
【見て!聞いて!】という行動は、決してわがままでも、未熟な証拠でもありません。
それは、かつて十分に見て、聞いてもらえなかった心が、今なお【気づいて欲しい】と訴えているサインなんです。
人は確かに【存在を感じてもらうことで初めて安心できる存在】です。だけど、いつまでも【外の世界】だけにその答えを求め続けると、心は疲れてしまいます。

だからこそ、自分の中に【安心して存在できる居場所】を取り戻すことが大切です。
それが、他人の話を奪わなくても、ただ【そこにいるだけで満たされる生き方】への第一歩となるのかもしれません。
【見てもらいたい自分】を責める代わりに【そんなに頑張って注目を集めようとするほど、悲しかったね。寂しかったね】と、自分自身に優しく語り掛けてみてください。
すると、少しづつあなたの中の【見て!聞いて!】は、少しづつ静まっていくかもしれません😊

