でも、だけどの奥に在るもの
おはようございます。公認心理師・ビリーフチェンジ心理セラピストの宮﨑くみこです。
先日ブログの読者様より、嬉しいご報告をいただきました。
ご自身が経営されている【放課後デイサービス】の利用者さんと、やり取りで使うオフィシャルアカウントで、私のブログをいつもご紹介して下さっている。とのことでした😊

ありがとうございます😊
1人でも多くの方にお届けできる環境を、ご協力いただき本当にありがとうございます。
さて、人と接する中で、相手の話を聴く。ということは誰にでも経験があることと思います。
特に【支援者・対人援助職】の方にとって【相手の話を聴く】ことは、とても大切なことですね。

そしてそんな時、相手の方と話していて、こんな場面に出会うことはありませんか?
こちらがどんなに丁寧に話しても【でも】【だけど】【いや、だって】【こんな理由があるからそれは無理】と、返されてしまう。
その方の為を思って、様々な提案をしても、まるで跳ね返されるような感覚。そして、支援者の中にふっと浮かぶ言葉…【あの人には何を言っても無駄だから…】
けれど本当に【無駄】なのでしょうか?もしかするとその人の中では【今は聞けない程の「心の防衛」】が働いているのかもしれません。

今日は【話を聴こうとしない人の中で何が起きているのか?】を様々な視点から見ていきたいと思います。
もくじ
1-1|表面は「反論」・内側では「防衛」
【でも】【だけど】【いや、だって】と言葉が返ってくると、言われた側は【否定された】【受け取ってもらえなかった】【それって言い訳だよね】と感じます。
しかし、実際それは相手の方の【攻撃】ではなく【防衛】なんですね。
その方の中では、もしかするとこんな声が響いているのかもしれません。
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・自分が間違っていたと認めるのが「怖い」 ・自分が「責められている」気がする |
つまり【話を聴かない】のではなく、自分が傷つきそうだから防いでいるのかもしれません。

1-2|自己否定と恥の防衛
心理学的に見ると【でも】【だけど】【いや、だって】で反応する人は、強い【自己否定感】や【恥の感情を抱えている】ことが多い。と言われます。
他人の意見を受け入れることが【自分はダメだ】と突きつけられているように感じてしまいます。
だから【無意識】に【自分の中の正しさ】や【言い訳】で自分を守ろうと「反射的」に言葉が出てくるのかもしれません。
これは【合理化】【否認】といった【防衛機制】の一種であり、自分の心のバランスを保つため、自分がなるべく傷つかずに生きれるようにするための最善の仕組みなんです。

つまり【でも】【だけど】【いや、だって】という言葉は【心のSOS】であるのかもしれませんね。
1-3|安心と心の器
発達心理学では、他者の意見を受け止められるようになるためには、幼少期に【安心して間違えられる経験】→【安全基地】が必要だとされています。
もしも子どもの頃
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・間違えたら怒られる ・「だから言ったでしょ」とダメ出しされる ・間違いを笑ってバカにされる ・自分の思いを最後まで聞いてもらえなかった |
そんな経験が積み重なっていくと【他人の言葉=自分に対する攻撃】と感じるようになってしまいます。

そうなると、大人になっても【相手の言葉=自分を否定している】としか受け取れず【反射的】に【でも】【だけど】【いや、だって】と返してしまうことも。
つまり【人の話を聴けない】=【心の器が小さい】のではなく【安全を感じられていない】だけなのかもしれません。
1-4|安心を与えることから
では、子どもには実際どのように接すると良いのでしょうか?
例えば子どもがぬり絵をしていて「できたよ!見て!見て!」と聞いてきた時、

色が少しはみ出しているのを見て【ここ、はみ出してるじゃない】【太陽は緑じゃないでしょ】と、否定やダメ出しをするのではなく、
「うわー!色んな色を使って綺麗だね」「感じるままに塗ったんだね!素敵」と、まず【安心を感じられる言葉】を返してみます。
また、子どもが失敗して泣いているとき「だから言ったでしょ!」「やっぱり!そうなると思った」「バカじゃないの!」と言う言葉ではなく、

「悔しかったね」「嫌だったね」「頑張ってたの、ママは知ってるよ」と【気持ちを受け止める】言葉かけをしてみて下さい。
すると
上手くいっても、失敗しても、あなたの価値は変わらず大切だよ
というメッセージが伝わるとき、子どもの心には【安心して間違えられる土台】が育ちます。
その経験を通して【人の言葉は自分を否定するもの】ではなく【人の言葉は自分を支えてくれるもの・成長を助けるもの】として受け取る力が少しずつ育っていきます。

つまり、子どもの【聴く力】は【ちゃんとする正しさ】ではなく【安心の中で育つ】ということなんですね。
1-5|「対話」とは「変化を受け入れる勇気」
そして【人の話を聴く】とは、単に情報を受け取る行為ではありません。それは
【今の自分が変わるかもしれないことを受け入れる「勇気」の行為】です。
他者の言葉によって、自分の価値観が揺らぐかもしれません。それはとても【不安】で【怖い】ことです。

だからこそ【でも】【だけど】【いや、だって】は、自分が変わらない、傷つかないための【最後の砦】でもあるんですね。
この視点に立つと、聞けない人を「変えよう」とするのではなく【その人は今、変化に耐えられない状態なんだ】と、理解する眼差しが生まれるかもしれませんね。
1-6|もう一度「受け止めてもらえる」体験
では、支援者、対人援助の方、又はママができる最も大切なことは【受け止めてもらえる体験】をもう一度提供することかもしれない。と、私は感じています。

つまり
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・無理に正しさで説得をしない ・「そう感じているんですね」と、気持ちを受け止める ・「できない理由」を責めずに、一緒に見ていく |
このような関りの中で、人は少しずつ【相手の話を聴いても大丈夫】という安心を取り戻していくと思います。
【聴ける力】とは、理屈ではなく【安心の中でしか育たない力】なんですね。
1-7|理解は「あきらめ」の反対
支援の現場、職場、夫婦の間等、様々な人間関係の中で【あの人には何を言っても無駄】と、感じる瞬間があるかもしれません。それは自分の限界を感じる苦しい瞬間でもあるかもしれません。

だけど、本当に【無駄ではなく】まだ、相手の方が【受け取ることへの準備中】だけかもしれません。
【話を聴けない】その裏には【恥・恐れ・自己否定】そして【なるべく傷つかないように懸命に、最善をつくして生きようとする姿】があります。
決して相手の本当の気持ちが【分かることはありません】だけど、そのことを【理解しようとする】だけで、相手の方との関わり方が少しだけ優しく、深く変わります。
理解は「あきらめ」の反対側にあります「無駄」と思った瞬間こそ、相手の心の奥を見つめるチャンスです。
相手を理解しようとすることは、人との関りの出発点だと私は感じています。

相手を【人の話を聴こうとしない難しい人】として見るか?【守ろうとしている心の状態なんだなぁ】と見るか?
自分が相手を見る【前提がどうか?】で、人との関り方は大きく違ってきます。
そして、もしかしたら…私達誰もが、誰かの言葉を前にすると、心のどこかで【でも】【だけど】【いや、だって】と、つぶやいている瞬間があるのかもしれません。
そんな時、自分の中でどのような感情が動いているでしょうか?「怖さ?・焦り?」それとも「守りたい何か?」でしょうか?
【聴けない人】に出会う度に、私達もまた【聴く力】を育てていく途中にいるのかもしれませんね😊

では、又月曜日に♪
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